élanは「飛躍」を意味するフランス語の基本単語ですが、ここでは辞書的な解釈から離れましょう。
ことばはあらゆるイメージをもたらします。élanということばが刺激する想像力もまた千差万別でしょう。
文字通りの飛翔を思い浮かべるかもしれないし、深遠な思索に耽っても構わない。
あるいは言語の意味を知らず、音声そのものを楽しむことすら可能です。
視覚や聴覚から受け取るイメージを変容させるのは、ほかならぬ私たち自身の想像力なのです。

「何を食べるか」によって食の多様性を競ってきた弊害として、
水産資源の枯渇やフードロスなど、食材そのものが軽視されてしまう問題が生まれました。
食の多様化がもたらした負の側面への反省から、いわゆるスローフードや食育といったムーブメントが流行したといえます。
これらの運動が掲げた理念は、調理された完成品だけでなく食材の生産や流通、食文化にまで目を向けさせ、
食の多様性に「どのように食べるか」という新たな意味を付与しました。

多様性を生きるとは、選択の連続です。
料理人は食材を選定し、調理・提供の方法を決定するプロセスにおいて、常に選択を迫られています。
また、その成果物の責任を、生産から流通、消費に携わるすべての人たちに対して負っています。
こうした選択の果てに完成するひと皿ひと皿は自然と人為の微妙なバランスの上に成り立っており、
料理として形を与えられているのは奇跡のようです。
「奇跡」は料理人の技術だけによるのではありません。
日常のそこここに痕跡をとどめる生活や歴史に向き合い、自らのルーツを見つめなおす営みが不可欠です。
自然と人為が織りなす食の豊饒さに対してもまた、料理人は責任を果たさなければならないのです。

私たちの生き方の選択肢は劇的に広がりました。
しかし、自由の恩恵に浴して振る舞うには様々な困難が伴います。
多言は避けますが、こうした困難は、昨今の食をめぐる環境に感じる息苦しさと無関係ではないでしょう。
真に生命力が躍動し、想像力が羽ばたく場を提供するというélanのコンセプトが、
こうした問題意識に対する一つの回答となりうるのではないかと自負しています。